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2026-02-04_昨夜の「YouTube発・夫婦冷戦」から学んだこと

昨日の夜、久しぶりに妻と盛大に喧嘩をしてしまいました。

きっかけは、本当に、本ッ当に些細なこと。夕食後のリラックスタイムに二人でぼーっと見ていた、YouTubeのドキュメンタリー動画でした。

内容は、あるシングルマザーの方の密着記事。DVでの離婚やPTSDといった過酷な経験を乗り越え、手取り18万円で働きながら、2人の子供に月10万円も仕送りをしている……という、なんとも考えさせられるお話でした。

画面の中の彼女が、今の苦しさを吐露したその時。隣で見ていた妻が、ポツリとこう呟いたんです。

「なんでこの人、こんなに悲観的なの? ちょっとおかしくない?」

この一言が、平和だった我が家のリビングに投下された「爆弾」になりました。 僕が、それはもう見事なまでに過剰反応してしまったんです。

「いやいや、この人の境遇なら仕方ないでしょ。なんでそんなこと言うの?」
「だって自分で選んでやってることなのにここまで悲しそうなのは変でしょ。無理ならしない選択もできると思う。」
「好きでやってるわけないじゃん! 選択肢がなかったんだよ。なんでそんなに否定的なのさ」

そこからはもう、絵に描いたような平行線。
「そこまで言わなくても」という僕と「いや、違和感がある」という妻。
お互いに「こいつ、何言ってるんだ?」という冷めた空気のまま、会話をシャットダウンして寝てしまいました。

翌日、家族会議で見えてきた「スコープのズレ」

で、今日。仕事が終わってから少し落ち着いて、昨日の件を改めて話し合ってみました。
そしたら、驚くほどお互いの「見ている場所」が違っていたんです。

僕は、彼女の「人生の背景全体」を見ていました。
DV被害やPTSDで仕事を辞めざるを得なかった過去。その境遇から「選択肢が奪われてきた人生」を思えば、今の苦しさを単純に自己責任とは言えないだろ、と彼女を擁護するモードに入っていたんです。

対して妻は、彼女の「今の具体的な意思決定」を見ていました。
「生活が厳しい中で、親が身を粉にして学費も生活費もすべて工面する」という選択。もし本当にお金がなくてしんどいなら、奨学金を借りるとか、子供がバイトをするとか、別の手段だってある。
「自分でその苦労する道を選んで実行しているのなら、もっと胸を張ればいいのに、どうして被害者のように悲観的なの?」というのが、妻の抱いた純粋な疑問だったわけです。

敵は身内にあらず、主語の欠如にあり

今思うと笑ってしまうのですが、僕も学生時代は奨学金+自身のアルバイト代で通っていたので、その経済状況でお金を親が出しているのは疑問、というか妻の意見に全く異論がなかったんです。

それなのに、お互いに「どの部分(主語)」の話をしているかを明確にしなかったせいで、僕は「過去の不幸」を擁護し、妻は「現在の合理性」を説くという、一生交わらない平行線を爆走。

蓋を開けてみれば、向いている方向はそれほど違わなかったはずなのに、コンテキストの不一致だけでここまで派手に衝突できるものかと、変に感心してしまいました。

結局、一番の原因は「甘え」だった

話し合いの最後は、「お互いに主語が足りなかったね」「疑問をちゃんと分解して伝えればよかったね」と笑って謝り合い、無事に仲直りできました。本当によかった……。

夫婦って、普段から一緒にいる分、「言わなくてもこれくらい伝わるだろう」という甘えがどうしても出てしまいます。その甘えが、時として今回のような大きな勘違いを引き起こしてしまうんだなと。

家族だからこそ、あえて丁寧に言葉にすること。自分の意図がちゃんと相手に届くように、端折らずに伝えること。
当たり前のことですが、一番身近な相手にこそ、その丁寧さが大切なんだなと反省した一日でした。

  • この記事を書いた人

inatchi

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